みなさん、こんにちは。なかむら歯科クリニック
非常勤歯科医師・口腔外科認定医の山本です。
本日、11月9日の日曜日は、なかむら歯科クリニックは休診日ですが、
ブログは更新していきますね!
月曜日は、通常通り、診療させて頂きまして、当院の中で、人一倍子供から
人気のある永井さんがブログを更新させて頂きます☆
私は、現在、なかむら歯科クリニックだけでなく、様々な職場で勤務しているのですが、
仕事をしていると、困っている上司、同僚、部下から、
突然の“お手伝い”要請がきたりします。
もちろん、それには喜んで対応しています。
すると、このような事をよく言われます。
「山本先生が求める見返りは何ですか?」と。
残念ながら、世間一般、多くの方々が頼まれごとをされたときに、
働いてしまうのが、
“損得勘定センサー”
ではないでしょうか?
どういうことかと言いますと、例えば、
これを手伝うと、
・自分の評価が上がる
・自分が困っている時に助けてもらえるだろう
・明日の昼飯をおごってもらおう
なんていうメリットや見返りと、逆に、
・自分の時間が潰されちゃうよ
・こんなの手伝ったって、なんにも得しない
・そんな手伝いをしている暇があるなら、
自分の仕事をやれと怒られるんじゃないか
なんていうデメリットや損することを考えてしまいがちではないでしょうか?
さて、果たして、そんな物事の考え方で、良いのでしょうか?
突然ですが、みなさんは、杉原千畝さんをご存知ですか?
あまり有名ではないので、聞いたことないかもしれませんね。
杉原さんは、『東洋のシンドラー』と呼ばれた外交官です。
「そもそも“シンドラー”って何よ?」
という方のために説明すると、
“シンドラー”とはドイツ人のオスカー・シンドラーさんのこと。
1993(平成5)年に公開された映画「シンドラーのリスト」は、
オスカー・シンドラーさんの物語。
この映画を観た人は大勢いるはず。
実業家で、第二次世界大戦末期に、強制収容所行きのユダヤ人を、
自分の工場に労働者として雇い、命を救った人物。
収容所からだしてほしいユダヤ人の名前を書き連ねたリストが、
「シンドラーのリスト」です。
救ったユダヤ人は1200人以上。
杉原さんは、シンドラーさん同様、多くのユダヤ人を救ったので、
『東洋のシンドラー』と呼ばれているのです。
1940(昭和15)年、リトアニアの領事館に、杉原さんが赴任していた
ときのこと。
ドイツ軍がポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まり
ました。
リトアニアはソ連軍に占領され、彼は領事館の明け渡しを要求
されます。
≪— 明け渡し期日の1ヶ月前 —≫
杉原さんは、領事館の周りに100人以上の人が集まっているのに
気がつきます。集まっていたのはナチス・ドイツの迫害を恐れ、
ポーランドから逃げてきたユダヤ人たち。
彼らは日本経由でアメリカなど第三国に脱出するため、日本に
通過ビザの発給を求めてきたのです。
ところが、、、
当時の日本外務省は、ユダヤ人に限らず、すべての外国人に
ついて、避難先の国の入国許可を得ていない者には、ビザを発給
しないという方針を決めていました。
当然、領事館に群がる人たちは、そんな許可書類など持っていません。彼らを何とか助けたいと思う杉原さん。
“例外を認めてほしい”と、日本政府にお願いします。
しかし、日本政府からの返事は、
「大集団の入国は公安上、問題があるので発券してはいけない」
さて、困った杉原さん。
ユダヤ人達を助けたいと願うものの、
それを良しとしない日本政府との間に挟まれた状況を乗り越える
ことができたのでしょうか??
続きはまた、次回(来週日曜日)に綴ります。
福山市 なかむら歯科クリニック
口腔外科認定医 山本一博 拝
熱いメッセージ、ありがとうございます。
頼まれごと、仕事とは?
と改めて考えさせられますね
いろいろなことを受け入れる器が必要ですね。
その時自分がいる場所で、その時自分にできる精一杯を誠意を持ってできるような人を人生の目標にしていきたいです。山本先生ありがとうございました。Part2も楽しみにしていますね(*^_^*)